JAPAN JUNIOR ORCHESTRA |
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NPO日本少年少女オーケストラ協会 最新ニュース |
NPO法人日本少年少女
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NPO日本少年少女オーケストラ協会NEWS 2021年1月号 通算436号 http://k-onebiz.com/gjo/gjo_index.html 新年明けましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします。
ミナミオーケストラ・メソードの出来るまでの歴史について コロナの今、いつどうなるかがかわからない時代であります。そこで私の考案したミナミメソードについてどんな 経緯で出来上がり、どんな事を思って作ったのかを書き留めて置くことにしました。興味がある方は読んで下さ り、次世代の方へ語り継いでもらえたら幸いです。 私が始めたジュニアオーケストラ活動の初期(1983年4月)には、地元のバイオリン教室の先生方が自分の生 徒さんの中から熱心な生徒さんを選んでジュニアオーケストラに入団させてくれました。私と妻は自分たちのクラリ ネットとフルートの生徒さんと私がボランテイアで指導していた地元の小学校の器楽合奏のクラブの生徒さん、合 わせて50数名の小学生ばかりでしたが、オーボエ、ファゴットもいる立派なフルオーケストラ編成でした。 しかし残念なことに問題はすぐに起きました。それは保護者の意識の違いで、バイオリン教室の保護者達は 高額の個人レッスン費用を支払って毎日家庭でも練習をしている子供たちであり、かたや音楽を楽しく趣味と している子供たちでした。わずかオーケストラが始まって2か月でバイオリンとチェロの先生の生徒は別のグル ープを作るためにオーケストラから離れて行きました。そのグループも半年ほどで潰れてしまいました。 残った生徒は管打楽器の生徒とバイオリンを始めたばかりの2,3名の小学生でした。そこで音大生にお願いし て、毎週日曜日の朝に生徒を募集してオーケストラの為のバイオリンクラスを開設、私も一緒にビオラを習うこと にしました。しかしお願いした音大生の彼は毎週日曜日の朝、バイクで東京から来るのは長くは続かず、携帯電 話のない時代で彼が来るか来ないかわからない状態で生徒たちを待たせておく訳にもいかず、私がヤマハで担 当していた教育楽器の指導法をバイオリンに置き換えてバイオリンの指導をしました。すると子供たちは「楽しく ておもしろい、簡単でやさしい」とバイオリンに興味を持ってくれました。そこで当時地元の楽器店から預かってい たピアノの生徒たち50人ほどに無料で、ピアノのレッスン時にバイオリンを指導しました。ピアノの指導も私独自 の指導でしたので生徒たちはあっという間にバイオリンが上達して、バイオリンの生徒がオーケストラにどんどん 集まりました。 オーケストラが出来て2年目に第1回の演奏会を開催しましたが、第2回の演奏会は何を演奏しようかと尋ね たところ、指揮をお願いしたウイーン時代の友人の小原氏が「どうせやるなら第九でもやったらどうだい」と簡単に 言いました。私も弦楽器の難しさを知らないので「そうだね」と答えて、すぐに楽譜をドイツから取り寄せてしまいま した。第1回の演奏会に応援してくれた群馬交響楽団の弦楽器のメンバーが、「第九は俺達でも弾けないのに無 理だよ」とはっきり言って来たので、「お前たちは第九が弾けないのか?」と言い返した覚えがあります。当時の団 員たちのレベルは今とはだいぶ違っていましたね。群馬交響楽団も存続をかけたストライキばかりをしていた、そ んな時代でした。 3年半の時間をかけて第九を全楽章練習しましたが、世の中はバブル時代で、当時団長をお願いしていた中島 代議士が竹下内閣で文部大臣となり、ジュニアオーケストラの顧問をお願いしていた石原氏が内閣副官房長官に任命されて、私たちのオーケストラから2名も入閣する事になり、やっと世間の目が変わってきました。当時の太田市長もそれまでまったく文化に興味を示さなかったのですが、太田市制40周年を記念して「第九全楽章演奏会」に文部大臣が来賓(?)として出席すると聞いて慌てたようです。そして翌年には市民合唱団を含めて総勢180名ほどで「アメリ演奏旅行」を堤 俊介氏の指揮で、カルフォルニア州のバーバンク市(国際姉妹都市、ロッキード社、デイズニーランド本社)とミシガン州フリント市(全米でも100年を超える歴史あるジュニアオーケストラ)で現地の市民合唱団たちと、フリント市では現地の青少年オーケストラの団員宅にホームステイーをして、一緒に第九演奏会 を開催しました。私たちのジュニアオーケストラの初海外公演でした。 帰国すると音楽関係者の中では、「小中学生のオーケストラがアメリカ公演で堤先生と第九を演奏した」と話題 になりました。その話を耳にされた全音楽譜出版(1931年創業の世界第2位の楽譜出版社)の方から私に連絡 が有り、「どのような指導法で子供たちだけのオーケストラを短期間で第九が演奏できるように教えたのかを知り たい」とのことでした。バイオリン教本出版担当者の方は「スズキメトード」を最初から担当された方で、全音出版社では、鈴木メトード、篠原教本をシリーズで出版していて、これらの教材では何年やってもオーケストラが出来ない個人の為の指導書で、担当者の方は長年にわたりオーケストラの指導法を探していたそうで、自分が退職する前 にミナミメソードに出会って良かったと話していました。 私は出版にあたり、4つの事を考えてメソードの制作にかかりました。 1つは、ウイーンの留学時代に現地の愛好家の方々が楽しみで演奏していた「喜遊曲」の手法でした。 それは「デヴィルトメント」と呼ばれて、18世紀にヨーロッパで流行して形式であり、またモーツアルトが好んで作曲し、どんな楽器でも愛好家が集まればすぐに演奏できる形式のものです。 2つめは、吹奏楽ではすでに普及しているアメリカ式のメソードです。これは、スクールバンドなどで指導者が1人で全ての楽器を指導するグループ指導で、軍楽隊から発展して学校の吹奏楽部では広く使用されているものです。残念ながら、弦楽器奏者は100パーセントの方が個人指導書からスタートする為にこの発想はありません。 3つめは、当時も流行っていた「大正琴」の指導方法です。この指導書は特にお年寄りになって音楽を始める 方の為に作成されていて、ハ長調、誰でもすぐに知っている曲、から入る方法で、子供たちの目線にぴったりだと前々から注目していました。鈴木、篠崎の教本では、日本人の子供になじみのない曲が多々使用され、バイオリンしか頭に無い先生方が、子供たちの事を考えずに、ト長調、ニ長調、イ長調と言うシャープ系から始まっています。 そして最後は、子供たちの遊び心を指導に加えた事です。弦楽器指導者たちは、権威やプライドが先にあって、 なかなか子供たちの心を理解しないで指導を進める傾向が有ります。その点、鈴木メトードは幼児から始める指導法の為に参考になる物もあり、私がヤマハ時代に考案した楽器を使った遊びを取り入れてます。 「弓ジャンケン」「逆さ弓演奏」「弓のバランスごっこ」「金魚の行進」「片足演奏」などなどこの4つを組み合わせて制作を始めましたが、まだパソコンが普及していない時代でしたので、全て手作業で 切り貼りをしながら、多くのピアノ講師の先生に手伝ってもらいながら半年かけて弦楽器パートを仕上げました。 ちょうど、高崎芸術短期大学でオーケストラを指導して欲しいと依頼が来ていたので、そのテキストとして「ミナミオーケストラメソード」を最初に120人余りの学生たちに使用しました。その後すぐに韓国でも「ミナミメソード」を普及させたいと依頼が有り、韓国版を作成して毎月のようにソウルに指導に行きました。 その後アジア各国で使用するにあたり、その国の子供の歌や遊びを取り入れて現地の先生方とミナミメソードの海外編を現地で制作してきました。ネパール、カンボジア、ラオス、バングラデシュ、ベトナム、ミャンマーなど、子どものオーケストラが無い国に楽器と教材を提供して来ました。既に子供オーケストラのある、韓国、中国、インド、 タイ、フィリピン、インドネシア、シンガポール、マレーシアなどとは、演奏交流を続けながら、ミナミメソードを紹介しています。 |
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